宗教と俗習

序として

干支(えと)について

本年は平成二六年 甲:きのえ 午:うま と記すのが正式な載例。
縦書きにして右側に十干 甲:きのえ 乙:きのと 丙:ひのえ 丁:ひのと 戊:つちのえ 己:つちのと 庚:かのえ 辛:かのと 壬:みずのえ 癸:みずのと左側に十二支 子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥
ちなみに甲子園球場は大正十三年(1924年)甲の年と子の年に完成したので、「甲子」園球場と名付けた。
十干と十二支の組み合わせて六十通りとなるので、生まれた年を数えて六十一年目満六十歳の誕生日を還暦と称する。
十干の読みの語尾が「え」と「と」となるので「干支」と書いて「えと」と呼ぶ。
従って「干支」は何ですか?と問われた場合、十干と十二支の双方を応えないといけない。
西暦で1の桁が甲:4 乙:5 丙:6 丁:7 戊:8 己:9 庚:0 辛:1 壬:2 癸:3となり自分の生まれた年を当てはめて、十二支と合わせて応える。

ちなみに、古稀は数えの七十歳〈人生七十古来稀也:杜甫(唐代詩人)の詩中の故事〉

喜寿
数えの七十七歳〈草書で「喜」を七十七と書く〉
傘寿
数えの八十歳〈「傘」の上と下で八十になる〉
米寿
数えの八十八歳〈「米」が八十八と書く〉
卒寿
数えの九十歳〈「卒」の字は略字で「卆」と書く〉
白寿
数えの九十九歳〈「百」の字より「一」を取ると「白」になる〉

仏教と神道の儀式と俗習の違い

宗教儀式

1月15日 元服(紳祇)
3月3日 雛祭(神祇)
3月13日 十三詣(仏事)
3月20日(21日) 春彼岸会(仏事)・春季皇霊祭(紳祇)
4月8日 仏生会(花祭仏事)
5月5日 尚武祭(端陽祭紳祇)
7月7日 棚機祭(たなばたさい・紳祇)
7月15日 盂蘭盆会(仏事)・(御霊祭(神祇))
8月1日(陰暦) 八朔(神祇)
8月15日(陰暦) 十五夜祭(神祇)
9月13日(陰暦) 十三夜祭(神祇)
9月23日(22日) 秋彼岸・秋季皇霊祭(神祇)
11月15日 着袴之儀(七五三・神祇)

上記棚機祭以外は日本独自の宗教儀式で棚機祭は中国の索牛星(アルタイル)と織女星(ヴェガ)の故事により女性の手芸の上達を希う儀式で中国では乞功典・乞功祭と称し日本で棚機祭(棚段の形の織機)と称し、織機を神前に供える儀式。
元服は数えの15歳で男子のみ八幡宮にて冠を授かる儀式。(現代の成人式)
十三詣は数え13歳の男女とも虚空臓菩薩(真言宗寺院)の尊前にて経文より戒名を授かる儀式。
着袴之儀:本来は公家のみ3歳にて氏神の前に袴を付けて参拝する儀式。徳川5代将軍綱吉より男子5歳が袴着7歳の女子紐落とした和服を着て氏神へ参拝させた。
これが七五三の始まり。明治以降は男子は丈夫(ますうらお)、女子は手弱女(たおやめ)になりうるよう氏神(産土神もしくは男子は武神・女子は姫神に詣でるようになった)
十五夜祭、十三夜祭ともに現在では月見と称して俗習のように思われているが、本来は神祇で十五夜祭には団子と野菜、十三夜祭には団子と果物を各々月に供えて月を礼拝し、その穣りを感謝する儀式。

節句(節供)=俗習

1月7日 人日(じんじゅつ:七草粥)
3月3日 正巳(じょうみ:白酒と草餅)
5月5日 端午(たんご:柏餅と粽)
7月7日 七夕(しちせき:索餅)
9月9日 重陽(ちょうよう:菊酒と栗飯)

以上の節日に家族が供に各々の食べ物を飲食して互いに健康を長寿を願い合う俗習。
中国より伝わったもの。

六曜について

我が国は明治5年(1872年)12月2日まで太陰暦であって翌日12月3日を明治6年(1873年)1月1日としてこの日より太陽暦を採用した。(改暦)
太陽暦の曜日が日・月・火・水・木・金・土になって太陰暦の曜日が六曜であった。
先勝(せんしょう)、共引(くいん)、先負(せんぷ)、興亡(こうぼう)、大安(たいあん)、赤口(しゃっく)が六曜である。
現代のカレンダーにもこの六曜が記載されているのもあるが、共引が友引となり興亡が仏滅になっているのは、明らかに誤記である。
「友引」を「ともびき」と訓読みで発音すること自体他の曜日が全て音読みであるのに比して相違していることに注視していただきたい。
六曜は中国より伝来したものであり音読みで発音するのが当然である。
訓読みとなるのは、近年において日本人が勝手に変えた語であることを示している。
一考ではあるが、大正から昭和初期にかけて我が国でも「共産主義」が興こり、「共産党」が設立の都度弾圧のうえ解散を余儀なくされ、一般民衆も「共産党」の「共」に不吉な感を覚え、訓読みで「とも」と読む「友」に変わったのではないかと思われる。
事実、「共産党」自体「無産党」、「労農党」と称していた。
「共引」(友引)の前後が先勝・先負になるように勝負事を仕掛けたら引き分けの意味を示しており「吉」と「凶」の共存する日が真の意味である。
「興亡」は字の示す如く「大吉」と「大凶」の共存する日とされ、「仏滅」は2月15日(釈迦牟尼仏が入滅の日)のみ称する。
明治3年・4年・5年・と2月15日(本来の仏滅)が「興亡」にあたり、明治6年から太陰・太陽暦併用の暦を作成した折に、誤って記載されたと思われる。
ちなみに「赤口」は「大凶」を示し、江戸時代大工さんはこの日は仕事をしなかった。

一般の礼節と宗教作法

「三元節」
上元(1月15日)、中元(7月15日)、下元(10月15日)の節日に恩師や世話になった方へ贈品を持ち訪れ返礼をする。
「盆供:ぼんぐ」と「歳暮:さいぼ」
先祖の菩提を護る本家や寺社に供え物をして日頃の粗供養の許しを請う。
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